恥をかいた分だけ自由になれる

堀江貴文さんの「多動力」に書いてあったこのフレーズが好きです。

~あなたが多動になるための最大のハードルは「他人にどう見られるだろう?」という感情だ。はっきり言おう。誰もあなたに興味がない。好きなように生きて、思いっきり恥をかこう。~

思えば、私も数々の恥をかいてきました。30年前、自意識過剰な田舎のイケメンだった私はなんともビクビクしながら上京してきたわけですが、様々なジャンルの圧倒的な人々に接する中で自身の能力の低さと自身のショボさに気づき、萎縮し、その後いつの間にか開き直って生きて行けるようになりました。知らないものは知らないし、ないものはない。いろいろ動いてひんしゅくを買うこともあったし、まさに恥ずかしい思いも幾度となく経験してきました。

思い起こせば…就職活動の時に知り合ったTくんは、学生起業家ですでに会社を売却し、大手代理店、政府系銀行、商社となんでも内定しまくった上で最大手の広告代理店に就職。私は50社ぐらい落ちまくり、ギリギリ中堅広告代理店に就職。これまでの努力の差が圧倒的なのだから当たり前だが、何でも知っていて、なんでも即座に答えるTくんには尊敬する気持ちとセットで自身のショボさに委縮し、ほとほと嫌になったものでした。

「お前そんなことも知らないのかよ!」といつもTくんに言われ続けているうちに、ふっと気づいたのでした。僕はビックリするほどものを知らないが行動力がどうやらあるらしい。この行動力はTくんも一目置いている。それならとにかく行動だ!アクションだ!と思うにいたってから人生が好転したように思います。正確にはそれから10年ぐらいただただ恥をかき、パチンコ玉のようにあちこちぶつかる人生なので、いきなり「自由」を身につけたわけではないのですが。。

そもそも起業した時だって、いろいろ知らなくて恥ずかしかったし、上場を目指す!と言い放った時もきっと恥をかいていたのでしょう。堀江さんにやめておけ!とたしなめられた気がします。気がつかなかったですが。そう、もはや恥をかいていることさえ気がつかない鈍感力を身につけたのかもしれません。20代まで過敏性大腸炎と円形脱毛症にちょいちょい病んでいたのがウソのようです。

おかげで自由になれたし、自意識過剰な頃の自分では到底想像もしていなかったところまで自身という筐体と魂を引き上げることができました。49歳になったいまも恥をかきながら日々成長を実感しています。逆に恥をかく場面をつくれなくなった時が劣化のはじまりなのだろうとも思います。いつまでも恥をかける人でいたい。

Facebook
Twitter